第六話 『秋のお彼岸(お念仏で彼岸へ)』 岳陽組 清岩寺 伊藤友昭

秋のお彼岸(お念仏で彼岸へ)

初秋の候、皆様におかれましては益々ご健勝のこととお慶び申し上げます。
日頃より、静岡教区浄土宗青年会の活動にご理解、ご協力いただき誠にありがとうございます。

今年も、9月22日「秋分の日」をはさんで、前後3日間、「秋のお彼岸」(あきのおひがん)を迎えます。「秋分の日」を迎えるころ、太陽は季節によって南中高度や日の出・日の入りの位置を変えているため、日の出の太陽の位置は真東に、日の入りの太陽の位置は真西になります。昼の時間と夜の時間が等しい時期でもあります。

また、「暑さ寒さも彼岸まで」というように、過ごしやすい気候の中、先祖供養のために、連れだってお寺へお墓参りに足を運ばれる方も多いのではないでしょうか。

 

「彼岸」とは
さて、この「お彼岸」ですが、ただ、年中行事の名前を指しているだけではありません。
「彼岸」(ひがん)とは悟りの世界の事で、サンスクリット語の「パーラミター」(訳:至彼岸)に由来し、浄土宗では阿弥陀様がいらっしゃる「西方極楽浄土」(さいほうごくらくじょうど)のことを意味します。仏教行事として行われている春秋の彼岸は、日本独自のものとのことです。

浄土宗においてこの「お彼岸」時期は非常に重要な時期であり、「浄土三部経」の一つである「観無量寿経」(かんむりょうじゅきょう)では、西の空に沈む夕日を見て「阿弥陀仏」の「西方極楽浄土」(さいほうごくらくじょうど)を思い浮かべる「日想観」という修業が説かれています。

この修業は、浄土宗で高祖と仰がれ中国・唐代の浄土教の大成者である、善導大師(ぜんどうだいし)も、太陽が真西に沈むことから、春分、秋分が修業に適した時期であると述べられています。沈みゆく遥か先にある、西方極楽浄土、そして、そこに往生された先祖の方々に思いを馳せ、必ずまたお会いさせて頂く事を胸に南無阿弥陀仏のお念仏をお称えして、自身も心を落ち着け、極楽浄土への往生を願いお称えする七日間、それが浄土宗の「彼岸」です。

 

「お念仏で彼岸へ」
私たちは日ごろ、「あの世、この世」という言葉を使います。「この世」はもちろん私たちの生きている現実世界であり「此岸」(しがん)です。此岸は煩悩渦巻く「四苦八苦」の世界です。阿弥陀様の浄土、「西方極楽浄土」こそが、「あの世」すなわち「彼岸」(ひがん)なのです。

法然上人も悟りの道を捨て、全ての人々が救われていく道を求められ、努力の末、八万四千といわれる法門の中から発見されたのが、仏の本願により浄土に往生させて頂くというお念仏の教えだったのです。

私たちが、自力で三途の川を渡りきるのではなく、お念仏をお称えすることで、阿弥陀様の「慈悲の船」に乗り、「彼岸」へと渡らせていただく。そしてこの極楽浄土で修業し、いつの日か成仏するのが「彼岸」へ渡る唯一の道です。

 

「最後に」
このお彼岸を良い機会だと受け止め、お彼岸には西の空に沈む夕日を見ながら、「彼岸・西方極楽浄土・先に亡くなられた大切な人」を思いながら、お念仏をお称えしてみませんか。
その尊いお念仏により必ず彼岸の浄土へ阿弥陀様がお救い下さるはずです。

 

阿弥陀佛のお救いについて詳しくは『お念仏とは?』をご覧下さい。

 

合掌

岳陽組 清岩寺 伊藤友昭

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