第五番 勝尾寺の御詠歌(柴の戸の御詠歌) |

第五番 勝尾寺の御詠歌(柴の戸の御詠歌)

『柴の戸に あけくれかかる 白雲を いつ紫の 色に見なさん』

法然上人二十五霊場巡りに参加して
新光明寺副住職 山本泰祐

大阪の北部、箕面市の山の中に勝尾寺というお寺があります。
バスに揺られて山の中を進んで行きますと突如神社を彷彿とさせる赤い山門が現れます。

山門の正面には「應頂山」そして門の裏側に回りますと「勝王寺」の額が掛かっております。
これは清和天皇の時代に天皇の病気平癒の祈祷を行ったところ、その結果天皇が病に打ち勝ったことから「勝王寺」と言う名前を賜った事に由来しております。
しかし「王に勝つとは畏れ多い」ということで「王」を「尾」にひかえ勝尾寺と号し勝運の寺として信仰されてきたそうでございます。

境内に入ると大きな池が現れ、そこに架かる橋を渡ると石畳の道が続いていきます。
参道には多くのモミジが植えられており、紅葉の名所であることも頷けます。

その参道を進み、本堂からさらに右手に上っていった所に、法然上人のご遺跡、二階堂がございます。
法然上人が讃岐の地へ御配流になり約9ヶ月、ようやく本州へ帰るお赦しを得ました。
しかし、すぐに都へ入ることは許されず、ここ勝尾寺の二階堂へ約4年間滞在されました。

ある時、法然上人の滞在中この寺の恒例行事である引声念仏の法要が行われました。
その際にこの寺の僧たちの法衣が破れていたので、弟子の法蓮房信空上人を京都の施主に使いに出し、装束十五着を調達し、寄進されたと言います。

またある時には勝尾寺に一切経がないことをお聞きになって、所持していた一切経を寄進なさったので、この寺の僧たちが喜び、老若七十余人が散華し香を焚き、幡を高く掲げ、一切経の上に蓋をかざしてお迎え申し上げたと御一代記にも書かれております。

ここ勝尾寺は平安時代に、証如上人(勝如上人)という方が長年無言の行をして浄土往生を願いましたが、夢で沙弥教信のお告げにより、ひたすら念仏の行に励み、念仏往生を遂げられた場所でもあります。

法然上人も八十歳を目前にご自身のご往生が近いことを予感なさっていらっしゃったのでしょうか。
法衣やご自身の大切にされていた一切経を寄進されたことも、上人が残り少ない今生でいつ極楽へ旅立っても良いようにと、ご往生の準備をされておられるように私は感じました。

また証如上人、さらにはお釈迦様の八十歳での入涅槃を偲ばれ、法然上人がお詠みになられた『芝の戸の御詠歌』には命終の時に御仏が紫の雲に乗って来迎たまわる姿を詠まれております。

法然上人は、こちらに滞在した四年間、毎日六万遍七万遍と念仏三昧の日々を送られました。

また二階堂のご本尊である壁板には善導大師の御影を拝することが出来るとされています。

極楽往生を願う浄土宗の我々にとって、一度は訪れてお念仏をお唱えさせて頂きたい場所だと、そう思わずにはいられません。