第八番 報恩講寺(報恩講寺の御詠歌) |

第八番 報恩講寺(報恩講寺の御詠歌)

極楽も かくやあるらん あらたのし はや参らばや 南無阿弥陀仏』

 

「法然上人二十五霊場巡りに参加して」

北豆組 廣渡寺 林泰裕

 

法然上人二十五霊場巡拝の旅で、報恩講寺に参拝しました。報恩講寺は二十五霊場の第八番目のお寺で、和歌山県和歌山市の大川という、長閑な海辺の町にあるお寺です。

お寺の入り口には、江戸時代の建立とされる総ケヤキ造りの大きな山門があり、その山門をくぐると二層屋根の立派な本堂がありました。山門・本堂ともに古いながら、そして潮風に晒される環境にありながらも、綺麗に保たれていて、ご住職をはじめ、檀信徒の方たちにより、しっかり護られてきたお寺だと感じることができました。お寺の見所としては、法然上人御自作の法然上人像、同じく上人直筆のお名号、恵心僧都作と伝わる浄土曼荼羅毛織名号等があります。

この報恩講寺の成り立ちは、承元元年(一二〇七)十二月、讃岐の国に流罪になられていた法然上人にお許しが出ます。翌年、法然上人は舟で四国より帰路につくのですが、途中嵐に遭い舟が流され、和歌山のこの地に流れ着きました。この土地の有力者である孫右衛門をはじめ村人たちは、風呂を焚き食事を提供し、法然上人を心からお迎えし、法然上人はこの地に一ヶ月ほど滞在することになりました。その間、法然上人よりお念仏の教えを受けた孫右衛門や村人たちは、法然上人に深く帰依申し上げ、この土地の人々にお念仏の信仰が広まって行きました。

しかし、いつまでもこの地に留まるわけにはいかない法然上人は、やがて都へ帰ることになります。孫右衛門をはじめ村の人々は、一日でも長く法然上人に滞在していただき、少しでも多くその教えを請いたいと、別れを惜しみました。その信心の深さと、志の高さに心を打たれた法然上人は、桜の木で自らのお像を彫り、自ら開眼をし、村人たちにお授けになりました。そして、このお像を安置するためにお堂が建立され、大河堂と名づけられました。その後、この地にお念仏を広めて下さった法然上人の慈恩に報い奉るという意味を込めて、現在の報恩講寺という寺名になりました。

ひとりでも多くの者が、阿弥陀様のお力により、極楽浄土に救われて欲しい。そう願われ、私たちのためにお念仏のみ教えを広めて下さった法然上人。そんな法然上人のご恩に報い奉ること、それは日々のお念仏を怠らずお唱えして、法然上人がひとりでも多くの者を救いたいと願われたように、私たちひとりひとりが間違いなく極楽往生を遂げることなんだと、この報恩講寺参拝を通して、改めてそう感じることが出来ました。