第七番 一心寺(一心寺の御詠歌) |

第七番 一心寺(一心寺の御詠歌)

『阿弥陀仏と いふよりほかに 津のくにのなにはのことも あしかりぬべし』

養命寺住職 安井隆秀上人

一心寺は、大阪にある法然上人の遺跡です。四天王寺別当の慈鎮和尚の請いによって法然上人自らが草庵を結ばれた地です。法然上人は自ら「南無阿弥陀佛」と書いた軸を西の壁に掲げて念仏されたと言われております。

また、法然上人が日想観を修せられた御遺跡です。
法然上人は一枚起請文の中に、「観念の念にもあらず」と言われているように、観察行を勤める事を勧めてはおりません。
「ただ往生極楽の為には南無阿弥陀仏と申して疑いなく往生するぞと思う」事が一番大切だとお念仏のみ教えてをお残し下さいました。

しかし、法然上人が修せられた日想観は毎日のお念仏を称える中で、西方極楽浄土に参れる事を喜び、恋焦がれる思いでの日想観だったのでありましょう。この世に執着してしまう私たちでありますが、この世の全ての苦しみが取り除かれ、生死の世界を彷徨う事なく菩薩に生まれ変わらせて頂ける極楽浄土に少しでも思いを向けるようにとの法然上人のお導きのお姿であります。

「三日月の 頃より待ちし 今宵かな」

松尾芭蕉が仲秋の名月を喜び詠まれた俳句です。満月だけを喜ぶのではなく、長く待ちわびた大きな喜びを表しております。お念仏を称える私たち。阿弥陀様は必ず臨終の間際に私の目の前にお出まし下さり、西方極楽浄土へ救い摂って下さいます。その臨終の間際だけを喜ぶのではなく、必ずお迎えいただける安心を得ながら、今から喜びを噛み締めて西方極楽浄土に思いを馳せる姿でありたいものです。

また、一心寺は年中無休で施餓鬼を勤める「おせがきの寺」としても有名です。大阪夏の陣においての本陣となり多くの遺体を供養した場所であり、戊辰戦争での会津藩士を弔う墓地、鳥羽伏見の戦いでの東軍の戦死者を弔う墓もあります。私一人だけが救われるお念仏の教えではなく、餓鬼道に堕ちたものさえも救いの手を差し伸べて下さる阿弥陀様。敵味方で別れて命を奪い合いをした者たちさえも決して見捨てはしません。

一心寺にお参りさせて頂き、阿弥陀様の慈悲の深さを改めて感じながら、

「娑婆界の 頃より待ちし 往生かな」

であらん事を思い、西に沈む夕日を眺めてお念仏を称えさせていただきました。