平成27年 法然上人御忌法要を通じて |

平成27年 法然上人御忌法要を通じて

毎年四月、総本山知恩院で執り行われる『法然上人御忌法要(ほうねんしょうにんぎょきほうよう)』に、静岡教区代表として随喜させて頂きました。

『法然上人御忌法要』とは、浄土宗をお開きになった法然上人の年回忌法要のことを指し、今年は804回忌を迎えることとなりました。
一般的な法要では一周忌、三回忌、七回忌と毎年は勤めませんが、『法然上人御忌法要』は毎年勤めております。また年回忌法要といえば、長くても50回忌、もしくは100回忌でしょうか。804回忌と継続されてきた御忌法要は、浄土宗の歴史そのものです。
御忌法要は浄土宗をあげての大法要。特に知恩院では法然上人への報恩感謝を捧げるため一週間に渡り勤めます。

堂内には伊藤唯眞猊下を中心に知恩院の式衆のお上人、遠近各地より随喜にこられた大勢のお上人が法衣を身にまとい、法然上人御影の御前で法要を勤めます。またお寺様と共に団体参拝に来られた檀信徒の皆様や一般の参詣者の方々が堂内に入り、一緒に手を合わせます。厳かに勤められてゆく法要の中、皆の声が重なり合い、堂内一杯に『南無阿弥陀佛』のお念仏が響き渡りました。

場所や時間など関係ない。誰もが唱えることのできる南無阿弥陀佛のお念仏。今から800年以上前、自分自身も含めすべての人々が救われる教えを求め続けてこられた法然上人の思いをそのままに感じる瞬間でありました。

法然上人はそれまでの「悟りの仏教」から「救いの仏教」へと大転換をされた方なのです。
法然上人以前の仏教では、自らが厳しい修行をし、自らの力で悟りを開いてゆく教えでございました。それでは限られたごく一部の人しか救われることはありませんでした。

今、私達が生きております人の世は、仏教では苦しみを耐え忍ぶ場所、「忍土(にんど)」と申します。自分の望むようには決していかない世であります。人間関係のこと、日常生活のこと、会社でのこと、学校でのこと。又、いつまでも若くありたいと願ってもそうはいきません。時に病気にもなるでしょう。自分自身の体や命でさえも決して自分の望むようにはいきません。どうにもならないと分かっていても求め続ける。そこに苦しみが生まれます。
時に自分の思い通りにしようと人を傷つけ、損か得かで判断し、自分中心に考えてしまう。命終えた時、その報いとして、いつまでも忍土から離れられない私達なのです。
修行を続け、この世において煩悩を消し、忍土の苦しみから離れることができれば良いのですが、残念ながら私達はそのような器ではありません。

しかし、いつまでも自らの罪によって、忍土から離れることができず、苦しみ続ける私達をどうにかして救いたいと考えてくださったのが阿弥陀様なのです。そして、法然上人は阿弥陀様の「わが名を唱えたものは、必ず忍土から離れた極楽浄土へと救いとるぞ」という願いにすべてを托され、南無阿弥陀佛のお念仏をもって浄土宗をお開きになられたのです。

極楽浄土には忍土での苦しみはありません。阿弥陀様から直接教えを頂戴でき、ご縁のある方を導くことができる仏とならせて頂くのです。いつの日かご縁のあった方と手をとって再会を喜ぶことができる、そんな楽しみがお浄土にはあるのです。

法然上人のみ教えを求め、現在の知恩院の地に老若男女問わず大勢の人が列をなし、そのお一人お一人に丁寧に御教えをお伝えしたと伝記に残されています。

その地で、分け隔てなく大勢の方々と手を合わせることで、今なお私達を救い続ける阿弥陀様のぬくもりをいつも以上に実感することができました。

今後とも自らのため、お念仏を唱え、ご縁のある方にはお念仏を進めてまいりたいと思います。教区代表という機会を与えて下さって誠にありがとうございました。

西駿組 大善寺 山田 雅宣